大阪・新世界のシンボル――通天閣は、長きにわたり大阪の庶民文化を象徴し続けてきた特別な存在です。その姿は高さ約100メートル。大正4年(1912年)の初代建設から戦禍や解体を乗り越え、昭和31年(1956年)に再建されて以来、地元の人々や観光客に親しまれてきました。
新世界というエリア自体が、明治時代末期から大正時代にかけて「浪速の最先端」として生まれました。当時のパリやニューヨークを参考に街区が設計され、エンターテイメントと大衆文化が混ざり合う賑やかな空間となったのです。その中心にそびえる通天閣は、ネオンサインの灯りとともに、街全体を見守る“ランドマーク”として存在感を放っています。
通天閣を下から見上げると、鉄骨の無骨さと丸みを帯びた展望台が、どこか懐かしく味わい深い雰囲気を醸し出します。塔内に一歩足を踏み入れると、昭和レトロなポスターが壁を飾り、商店や飲食店がにぎやかに並んでいます。エレベーターで展望台へ上がれば、広がるのは大阪市街のパノラマ。天気が良い日には遠く生駒山やあべのハルカスまで見渡せます。キラキラと輝くネオン、活気あふれる下町の屋根が連なり、ここでしか味わえない“おおさかの景色”に心が弾むでしょう。
通天閣周辺の新世界は、串カツの名店が軒を連ね、店先には大きな食品サンプルやキャッチーな看板がひしめき合います。注文した熱々の串カツを「二度漬け禁止」のソースにくぐらせながら、賑やかな雰囲気を楽しむのが新世界流。横丁の奥には射的やスマートボールといった昔懐かしい遊戯も残り、訪れるたびに昭和へタイムスリップしたような気持ちになります。
通天閣には“ビリケンさん”という幸福の神様も鎮座しています。その金色の足の裏を撫でると願いが叶うとされ、観光客や地元の人々が列を作って祈りを捧げます。この伝説も、関西らしいユーモアあふれる文化の一端です。
近年はリニューアルも進み、夜になると通天閣はカラフルなライトアップに包まれ、まるで“夜の灯台”のように新世界全体を照らしています。昭和から令和にかけて、時代が大きく変わっても、人々が集い、笑い、語らう場所――通天閣と新世界は、今もかわらず大阪の“心の下町”として愛され続けています。
この塔に足を踏み入れると、ただの観光以上の“庶民文化の今と昔”を全身で体感できる。それが、通天閣と新世界の、真の魅力です。